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晩夏の海月
時折半透明になりながら、ぽちぽち物書きしています。
Twitter企画SS:にゃんちゃんのこと
間が空いてしまいました><
企画SS、やっと4本目です。
お名前は、「にゃんちゃん(雪下音紀さん)」です!

にゃんちゃんのこと



にゃんちゃんのことを今でも思い出す。


にゃんちゃんの名は雪下音紀といった。
ゆきしも、ねこ。音紀、と書いて、ねこ、と読む。
大学の入学式の日、私の前の席に座ったにゃんちゃんに、可愛い名前だね、と言うと、彼女は少し困ったように、ありがとうと微笑んだ。
渡邊博美、というごく古風で平凡な名前をもった私には、にゃんちゃんの名は少しだけ羨ましかった。

ねこ、だから、にゃんちゃん。昔からどうしてもそう呼ばれるのだと、にゃんちゃんは照れたように言った。
私も彼女のことを、にゃんちゃんと呼ぶようになった。
にゃんちゃんは私のことを、ヒロちゃんと呼ぶようになった。

にゃんちゃんは私と同じ学科で、同じ管弦楽サークルに入った。
あまり練習に参加できないからとにゃんちゃんは入部を渋ったけれど、そんな本格的なものじゃないし、大会とかは有志だから、と部長さんはじめ先輩たちが引きとめた。
私たちは二人とも高校で音楽の部活に入っていた。
管楽器クラブに入ったとき買ってもらったトランペット、にゃんちゃんは部の備品であるチェロを、それぞれ大学でまた始めることにした。

にゃんちゃんとは、実は地元も同じだった。
小学校六年生のときに転校してきたにゃんちゃんのことを私は何となく知っていたけど、にゃんちゃんは私のことを知らなかった。
私たちの住んでいる地域は中学校にあがるとき三つの小学校が一緒になるから、中学校は十クラスもある。
そんなマンモス校で、同じクラスになったことがなかったのだから、知らなくても無理もない。


にゃんちゃんは、いつも授業が終わるとすぐに帰る。
だから業後の練習にはほとんど姿を見せなかった。
けれど、授業の合間には部室に来て、黙々とチェロを弾く。
あまりにも綺麗な音色で、チェロを弾く。
音紀、という名前に相応しく、にゃんちゃんの奏でる音は素敵だった。

その間、にゃんちゃんは常に携帯を隣に置いている。
スマートフォンではなく、二つ折りの携帯電話。
着信のランプが光ると、にゃんちゃんはすぐ練習をやめて、携帯を持って部室の外へ出て行く。


にゃんちゃんには小学三年生の弟がいる。
なぜそれを知っているのかというと、私の弟も小学三年生だからだ。
お互い、歳の離れた姉弟だ。
にゃんちゃんの弟は、ワンくんという。
ワンくんは、雪下一。一、と書いて、はじめ、と読む。
にゃんちゃんが業後すぐに帰るのは、ワンくんの面倒をみるためだ。


にゃんちゃんの携帯は練習中に限らず、よく鳴った。
話している最中に電話がくると、にゃんちゃんは必ず、ヒロちゃん、ごめんね、と丁寧に断って席を立った。


にゃんちゃんとの関係に薄い膜のようなものを感じるようになったのはいつからだろう。
にゃんちゃんは、私の話をいつも微笑んで、頷いて聞いてくれた。
でも、どこかいつも遠くを見ているような気がした。
笑顔のはずなのに、どこか冷めているような感じもした。
それに、にゃんちゃんは自分のことをほとんど話さない。
必然的に、私が自分のことばかり話す構図になる。
大学のクラスで、にゃんちゃんとよく話すのは私ぐらいだった。
でも、みんなにゃんちゃんに憧れている。
美人で肌や髪がきれいだとか、姿勢がいいとか、いい噂ばかり聞こえていた。


そのうち、時々私はにゃんちゃんにきつい言い方や、トゲのある話し方をするようになった。
にゃんちゃんに電話がきたとき、ごめんね、と言われても、返事をしないようになった。
でも、にゃんちゃんの私に対する態度はまったく変わらなかった。


にゃんちゃんが部長さんに告白されたという噂を聞いたのは、一限目が終わって学食で自販機のココアを飲んでいたときだった。
ちょうど斜め後ろの席に同じサークルの、別の学科の先輩たちが座っていて、話が聞こえてきた。
にゃんちゃんは部長さんからの告白を断ったのだという。
それについて、先輩たちがにゃんちゃんを悪く言うふうではなかった。

私は、部長さんのことが好きだった。


部室に行くと、にゃんちゃんは部室でチェロを弾いていた。
凛と透き通るような音色。
その近くで部長さんも練習していたけれど、気まずい雰囲気はない。
にゃんちゃんの隣、折りたたんだハンドタオルに載せた床の上、携帯電話のオレンジの光がぱかぱかと光る。
私はわざとバサバサと音を立てて楽譜を開いた。

「電話、鳴ってるよ」

演奏をやめて、あ、ごめんね、と少し早口でにゃんちゃんは言った。
ふだんおっとりした口調のにゃんちゃんに早口で謝らせてしまうくらい、私はきつい言い方になっていたんだろう。

「練習のときはさ、電源切っとけばいいのに」

ごめんね、とにゃんちゃんはもう一度言った。
まあまあ、と部長さんが横からとりなすように言う。
私の昏いくらい気持ちはおさまらない。
なんでみんなにゃんちゃんの味方なんだろう。

「いつも私と喋ってても電話きてばっかだもんね、にゃんちゃん」

にゃんちゃんは何も言わない。

怒ってくれればいいのに。
泣き叫んで、動揺して、みっともなく取り乱してくれればいいのに。

「電話してくれば?」

少しの沈黙のあと、にゃんちゃんは寂しそうに笑って、そうするね、と言って部室を出て行った。
部長さんの顔を見るのが怖くて私は顔を上げられず、ひたすらに楽譜を読むふりをした。
帰り際、お先に失礼しますの挨拶も、顔を見られなかった。
にゃんちゃんにあんなひどいことを言ったあとですら、私は、先輩に軽蔑されていないかだけを考えていた。


地元の駅から家までは歩いて十五分ほどかかる。
いつもは自転車で通る道だけれど、今朝雨が降っていたので、今日は徒歩だ。
少し暗いけれど、土手を通ると近道になる。
もう雨はやんでいる。夕方遅い時間だったから迷ったが、速足で土手のほうへ向かった。

橋のところでにゃんちゃんを見掛けた。
さっきあんなことを言ったから、気まずくて声は掛けられない。
数メートル離れた後ろから気付かれないようにゆっくり歩く。
にゃんちゃんは、携帯を耳に当てていた。
薄闇の中で、通話中のランプがぱかぱかと点滅するのが見える。
うん、わかったから。大丈夫だから、大丈夫だから。お母さん。
はっきりとは聞き取れないが、電話の向こうの声はヒステリックで大きかった。

ふっ、と辺りの闇が濃くなった。
にゃんちゃんの電話が終わって、通話ランプが消えたのだ。
もううっすらとしか光の残らない夕闇の中、にゃんちゃんが立ち止まったのが見えて、私も足を止める。

ギャアアアアアアアアアア、
と叫んで、にゃんちゃんは携帯のフリップを反対方向にへし折りそれを地面に叩きつけ踏みつけた。
にゃんちゃんは泣き叫びながらしゃがみ込み、アスファルトの上でグチャグチャになった機械の残骸を何度も、何度も、何度も拳で殴りつけた。
ガシャッ、グシャッ、ゴツッ、と激しく鈍い音が夜道に響いた。

私は動けなかった。

動かなかった。


にゃんちゃんの弟はワンくん。
ワンくんは、学校でしゃべらない。
ワンくんは、ごくたまに言葉を発する。「ワン!」という、それだ。
だからワンくんはワンくんと呼ばれている。
そのことを、私は弟から聞いて知っていた。

にゃんちゃんは大学が終わるとすぐ家に帰る。
ワンくんの面倒をみるため。
にゃんちゃんのお母さんは精神を病んでいる。
電話がよくかかってくるのは、お母さんからだ。
いつも被害妄想や支離滅裂なことで、にゃんちゃんを責める。
そのことを、私はこっそり盗み聞きした漏れ聞こえる電話の声で知っていた。

お母さんがそんなだから、ワンくんの学校や学童保育からの電話はぜんぶにゃんちゃんのところへ行く。
そのことを、私はうちの母から聞いて知っていた。
えらいのねえ、娘さん、あんたと同じ大学だって、知ってる?
そう言われて、知らないと私は答えた。

逆境にあってもつらい素振りを見せないにゃんちゃんが羨ましかった。
私が小さい頃に挫折したチェロを、綺麗に弾きこなすにゃんちゃんが羨ましかった。
色白で染めないままの黒髪を無造作に束ねて薄化粧で、それでも周りの目を惹きつけるにゃんちゃんが羨ましかった。
にゃんちゃんの全てが羨ましくて悔しかった。
にゃんちゃんが悲劇のヒロインに見えた。
私も、悲劇のヒロインになりたかった。
それが、どれほどの苦しみなのか知らずに。

にゃんちゃんの弟、うちの弟と同級生なんだね、と言ってみたことがある。
にゃんちゃんは、そうなんだ、知らなかった、といつものように穏やかな声で応えた。
私はあのとき、どういう気持ちでそう言ったんだったろうか。
にゃんちゃんが、ワンとしか言わないワンくんのことを恥じて、動揺してほしいと思っていなかったろうか。
にゃんちゃんがまったく動じなかったことに、がっかりしなかったろうか。


にゃんちゃんは大学を辞めてしまった。
お父さんとお母さんが離婚することになったの、いろいろあって、通ってられなくなっちゃった、大学。
部室で自分の楽譜を片付けながらにゃんちゃんは言った。
残念、とか、寂しい、とかいうことを、私は言った。

「ねぇ、ヒロちゃん」

え、と聞き返して顔を上げると、にゃんちゃんと目が合った。
ううん、なんでもない。
そう言って、にゃんちゃんは束ねた楽譜を鞄に入れた。


そのあと一度だけ、地元の商店街でにゃんちゃんを見掛けた。
にゃんちゃんはスーパーの袋を片手に、もう片方の手で小柄な男の子と手を繋いでいる。きっと、あれがワンくんだ。
はじめちゃん、とにゃんちゃんがワンくんに声をかける。
ワンくんは、にゃんちゃんの方を見上げて、嬉しそうに、ワン!と言った。
にゃんちゃんはそんなワンくんを愛おしそうに見てにっこりと笑った。
私が一度も見たことのない、本当のにゃんちゃんの笑顔だった。


私は大学を卒業して就職と同時に地元を離れ一人暮らしを始めた。
それから、にゃんちゃんには会っていない。


にゃんちゃんのことを思い出すたび、私の心はまだ苦しくなる。



〈了〉
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テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

[2014/03/21 00:09] | 小説 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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